ファーティマ朝 (Fatimid Caliphate)の領土変化

「ファーティマ朝」(Fatimid Caliphate) — この地図の資料では911年から1176年まで現れます。領域が最も広かったのは980年 〜 989年で、約195万km²です。

時期ごとの領域面積

期間領域面積
911年 〜 921年約38.9万km²
922年 〜 925年約58.3万km²
926年 〜 935年約38.9万km²
936年 〜 946年約58.3万km²
947年 〜 959年約38.9万km²
960年 〜 969年約51.8万km²
970年 〜 979年約195万km²
980年 〜 989年約195万km²
990年 〜 1014年約195万km²
1015年 〜 1017年約195万km²
1018年 〜 1027年約178万km²
1028年 〜 1055年約147万km²
1056年 〜 1065年約136万km²
1066年 〜 1071年約125万km²
1072年 〜 1098年約123万km²
1099年 〜 1110年約80.6万km²
1111年 〜 1151年約80.1万km²
1152年 〜 1168年約79.2万km²
1169年 〜 1176年約6.5万km²
911年1176年

最も広かったときの領域の輪郭

980年 〜 989年の領域の輪郭(地図の絵)。周辺の国は描いていません。

コマごとの領域面積と順位

国境が変わったコマごとに、この国の領域面積と、そのコマに領域がある国の中での面積順位です。

コマ領域面積順位
911年約38.9万km²22位 / 123件
922年約58.3万km²12位 / 117件
926年約38.9万km²22位 / 112件
936年約58.3万km²13位 / 116件
947年約38.9万km²23位 / 117件
960年約51.8万km²17位 / 118件
961年約51.8万km²17位 / 119件
962年約51.8万km²17位 / 120件
970年約195万km²2位 / 115件
980年約195万km²2位 / 111件
990年約195万km²2位 / 126件
1000年約195万km²3位 / 126件
1003年約195万km²3位 / 125件
1010年約195万km²3位 / 130件
1015年約195万km²3位 / 141件
1018年約178万km²5位 / 138件
1028年約147万km²5位 / 130件
1034年約147万km²5位 / 129件
1040年約147万km²5位 / 136件
1046年約147万km²5位 / 136件
1056年約136万km²7位 / 146件
1066年約125万km²7位 / 138件
1072年約123万km²8位 / 138件
1085年約123万km²8位 / 137件
1094年約123万km²8位 / 135件
1099年約80.6万km²11位 / 139件
1111年約80.1万km²11位 / 140件
1126年約80.1万km²11位 / 138件
1139年約80.1万km²10位 / 140件
1147年約80.1万km²10位 / 148件
1152年約79.2万km²10位 / 140件
1169年約6.5万km²75位 / 137件

順位が最も高かったコマは980年で、111件中2位でした。

隣接する国

国境を接したコマが多い順です(本国・植民地・同じ国の別の国号は1つの組として数えた値)。

領土をやりとりした相手

コマの間の領域の変化から計算したものです(約2万km²以上のみ数え、実際の進軍路ではありません)。面積の大きい順に7件。

コマ相手面積
970年獲得アッバース朝約144万km²
1169年喪失ザンギー朝約71.7万km²
1028年喪失ハムダーン朝約31.0万km²
922年獲得イドリース朝約19.4万km²
936年獲得イドリース朝約19.4万km²
960年獲得アッバース朝約15.0万km²
1072年喪失大セルジューク朝約2.5万km²

前の国・次の国

前の国: アッバース朝 · アグラブ朝 · ルスタム朝 · イドリース朝 · イフシード朝

次の国: Ayyubid Sultanate · ズィール朝 · ザンギー朝 · シチリア首長国 · エルサレム王国

出典: ウィキデータ(CC0)

ウィキペディアの要約

ファーティマ朝(ファーティマちょう、アラビア語: الخلافة الفاطمية 、Al-Khilafah al-Fāṭimīyah)は、シーア派の一派、イスマーイール派が建国したイスラム王朝である(909年 - 1171年)。その君主は、イスマーイール派が他のシーア派からの分裂時に奉じたイマーム、イスマーイールの子孫を称し、イスラム世界の多数派であるスンナ派の指導者であるアッバース朝のカリフに対抗してカリフを称した。王朝名のファーティマは、イスマーイールの先祖である初代イマーム、アリーの妻で預言者ムハンマドの娘であるファーティマに由来している。

ウィキペディア日本語版「ファーティマ朝」冒頭(最初の文) · テキストはCC BY-SA 4.0 · ウィキペディアで続きを読む

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